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秋田地方裁判所湯沢支部 昭和57年(ヨ)19号 判決

債権者

加藤幹子

右訴訟代理人弁護士

金野和子

山内満

債務者

並木精密宝石株式会社

右代表者代表取締役

並木一

右訴訟代理人弁護士

柴田久雄

主文

一  債権者が債務者に対し、労働契約上の権利を有する地位にあることを仮りに定める。

二  債務者は債権者に対し、昭和五七年五月二〇日以降毎月二〇日限り左記(1)記載の金員を、同年六月五日以降毎月五日限り同(2)記載の金員を本案判決確定に至るまで仮りに支払え。

(1)  金二二九四円に、当月一日から一五日までの間の日数より右当該期間における債務者の休日数を控除した日数を乗じて得られる金額の金員

(2)  金二二九四円に、前月一六日から末日までの間の日数より右当該期間における債務者の休日数を控除した日数を乗じて得られる金額の金員

三  申請費用は債務者の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

(債権者)

主文第一ないし第三項と同旨

(債務者)

一  債権者の申請を却下する。

二  申請費用は債権者の負担とする。

第二当事者の主張

(債権者の申請の理由)

一  債務者は東京都足立区に本店を構え、青森県黒石市、秋田県湯沢市などに工場を持ち、電気計測器及び同部品、軸承ベアリングなどの製造販売などを目的とする会社であり、秋田工場は、昭和四二年ころ、秋田県及び湯沢市の誘致工場として設置され、以後稼働しているものである。

二  債権者は、昭和五四年四月一〇日、債務者との間で労働契約を結び、以後、債務者の秋田工場で研磨工などの労務に従事し、昭和五七年四月三〇日当時、一日当り五時間四五分の勤務時間で、賃金は一時間当り金三九九円で、債務者の休業日以外は、毎日、右勤務時間を労働していたもので、賃金支払方法は、(1)毎月五日限り、前月一六日から同月末日までの賃金を、(2)毎月二〇日限り、当月一日から一五日までの賃金の支払を受けていた。

三  しかるに、債務者は、昭和五七年四月三〇日、債権者に対し、労働契約が終了したと主張し、以後、債権者の就労を認めず、同年五月以降の賃金を支払っていない。

四  債権者は五二才になる夫と二〇才になる長女と三人暮しで夫と長女は無職であるばかりでなく、夫は自律神経失調症で入、退院を繰り返しており、債権者の収入が一家の生計の中心であり、その収入を失うことにより一家の生活は極度に困窮の状態である。

五  よって、債権者は債務者に対し、労働契約上の地位の確認、賃金の支払を求める本案訴訟を準備中であるが、本案判決の確定を待っていては回復できない損害を被るので、本件申請に及んだものである。

(申請の理由に対する債務者の認否)

第一ないし第三項は認めるが、第四項のうち、債権者が五二才の夫と二〇才の長女との三人暮しであることは認めるが、その余は知らない、第五項は争う。なお、債権者の夫の病状は疑わしいのみならず、盆栽作りとパチンコのプロとの評判もあり、田二反歩を耕作し、自家用車も所有している。

(債務者の主張)

一  債務者は、当初から、債権者をパートタイマーとして、一か月毎の雇用期間をもって雇用契約を継続してきた。

二  なお、債務者の秋田工場においては、昭和五六年三月ころから昭和五七年二月二二日までの間、モーター課以外の職場では極端な受注減少によって余剰人員が生じたのに比し、モーター課の受注がそれほど減少しなかったため、モーター課以外の各職場のパートタイマー合計二七名を、逐次、モーター課に配置転換したもので、債権者も、昭和五七年二月二二日、ヘッド課からモーター課へ配置転換され、以後、同課でティーピング工程の作業に従事してきたが、同年三月、債務者の経営の都合上、これまで秋田工場で操業してきたティーピング工程を必要とするモーターの製造作業が、同年四月に操業開始が予定されていた黒石工場に移管することになったため、同月五日、秋田工場のモーター課のティーピング作業に従事していた債権者を含む一二名のパートタイマーを、暫時、総務課に所属させ、工場内外の清掃作業に従事させた。

三  ところで、債務者は、昭和五七年の生産額が昭和五六年のそれに比べて約三〇パーセントの減少と極端に落ち込む不況状態であり、景気の回復が早急に望めないため、昭和五七年四月、秋田工場のパートタイマーを整理することとし、同月二〇日、債権者を含む一二名の総務課所属のパートタイマーに対し、会社の不況を説明して依願退職を求めたが、債権者を含む二名が退職を拒否し、他の職場でも債権者らを引き取る余裕がないため、やむを得ず、同月三〇日、債権者に対し、期間満了によって傭止めにすることとし、債権者との雇傭契約を解約する意思表示をなした。

(右主張に対する債権者の認否)

一  右主張第一項のうち、債権者がパートタイマーとして雇傭されたことは認めるが、本件契約が期間一か月の定めのある契約であることは否認する。

二  同第二項のうち、債権者が、昭和五七年二月二二日、モーター課に配置換えされ、ティーピング工程の作業に従事し、その後右工程が黒石工場に移管することになり、債権者を含む一二名のパートタイマーが総務課に所属し、清掃作業に従事したことは認めるが、その余は否認する。

三  同第三項のうち、債権者ら一二名のパートタイマーが、昭和五七年四月二〇日、依願退職を求められたが、債権者はこれを拒否したので、債務者は、同月三〇日、債権者に対し、雇傭契約を解約する旨の意思表示をしたことは認めるが、その余は否認し、争う。

(債権者の反論)

一1  債権者と債務者との労働契約は、契約をなす際に期間が一か月である旨の説明は一切なされず、いわゆる契約の更新が三〇回以上に亘って異議故障なくなされ、業務内容も正社員と同様のものであり、債権者が退職を希望するまでは当然に雇傭する旨の信頼関係が形成されており、期間を一か月とする有期の契約ではなく、期間の定めのない契約である。

2  仮りに、債権者と債務者との当初の契約が期間を一か月とするものであったとしても、本件のように、機械的に月毎に更新を続けていたような場合には、当事者間の真意は、実質上、期間の定めのない契約に転化したものである。

二1  債務者には、昭和五五年三月以前には、並木宝石従業員組合が存在していたが、右組合は会社側の介入により結成されたもので、債権者らパートタイマーは参加できないまま、最低賃金法違反の低賃金、社会保険の未加入などの劣悪な労働条件のもとにおかれていたが、同月二三日、パートタイマーを含む並木宝石労働組合が結成され、債権者も結成当初から加入し、パートタイマーについて最低賃金法遵守、年次有給休暇、各種社会保険加入などの要求を掲げて積極的に活動を展開し、少なくない成果を勝ち取っていたが、債務者は、同月一〇月下旬、社会保険関連法規適用の潜脱を意図し、同年一一月一日付でパートタイマーについての労働時間を八時間から五時間四五分に変更する旨の方針を並木宝石従業員組合を通じて明らかにしたので、並木宝石労働組合はこれに反対し、中には同月三〇日午後三時からハンガーストライキに入った者もいたが、債務者は、同月三一日午後四時三〇分ころ、パートタイマーを集めて、右変更した契約書に署名押印を強要し、債権者は不本意ながら署名押印したものの契約書に八時間働かして欲しい旨の付記書きをなし、更に債権者は他の五名のパートタイマーと共に、同年一一月四日、時間短縮に反対してストライキをしたが、債務者は債権者らに詫び状を書かせるなどの手段で押えつけた。

2  のみならず、債務者は、労働条件改善運動に取り組んできた債権者らパートタイマーの仕事を奪う目的で債権者に対しては、昭和五六年二月二日以降、短期間で職場を異動させたうえ、昭和五七年二月二二日、モーター課に配置換えし、その後右ストライキに参加した四名及び社会保険資格を取得した三名を含む一一名のパートタイマーと共に、一週間後にも黒石工場に全面移転させる予定のモーター課のティーピング工程の作業に従事させ、そのうえ、同年四月五日、債権者ら一二名に対し、専門の掃除婦がおり、他に繁忙な職場があるにもかかわらず、仕事がなくなったとの理由で、工場内外の掃除を強要し、債権者らに対し、本来の業務から全面的に隔離し、労働への希求を抑圧するという人格的圧迫を加えると共に、他のパートタイマーに対する労働運動抑圧のための見せしめとした。

3  更に、債務者は、同月二〇日、債権者ら一二名に対して、不況で仕事がないので、同月二八日までに退職届を出せば、勤続年数に応じて一か月分以上の慰労金を出すので退職するようにと通告し、これに応じなければ解雇もある旨示唆して退職を強要し、以後毎日一人づつ課長二名の前に呼び出して退職しなければ解雇すると脅し、右退職に応じなかった債権者ら二名に対し、わずか一〇日後という短期間で解雇した。

4  のみならず、債務者が解雇の理由としている業績不振は認められない。すなわち、債務者の年間総売上高は昭和五二年には約金七五億円であったのに比べて、昭和五六年には約金一二〇億円に増加し、昭和五八年には金一五〇億円の達成を目指して高成長を遂げ、昭和五六年二月には青森県黒石市に黒石工場を建築し、また秋田県湯沢市のボーリング場を買収し、工場とし操業を開始したほか、秋田県南地区に五〇を上回る納屋工場と称する一種の下請工場を設置し、パートタイマーらには内職として仕事を持ち帰えらせ、自宅で業務に従事させているばかりでなく、昭和五七年には、八一名の正社員を新規採用している。

5  以上のように、債務者が主張する業績不振は根拠がないばかりか、仮りに業績不振であったとしても、債務者としては、相当の猶予期間を置いて粘り強く依願退職者を募り、説得によって解決すべきであったにもかかわらず、債務者に右の如き誠実な努力は存在せず、債権者に対する解雇は、まさしく、債権者の過去の組合活動を理由とする、債権者に対する不当な差別的解雇であり、したがって、信義則に反し、解雇権の濫用として違法無効なものである。

三  仮りに、債権者と債務者との労働契約が期間を一か月とする契約であったとしても、債権者の雇傭状況が以上のものであれば、債権者には当然に契約を更新するとの高度の期待権があり、更新拒絶や傭止めについては、信義則上、正当な事由が必要であるところ、債権者に対する傭止めの意思表示は、前項によれば、債務者には債権者を含む二名だけのパートタイマーを傭止めをしなければならないほどの合理的理由が存在せず、かつ傭止めを回避する努力も欠き、それ以上に債権者の過去の組合活動を理由とした不当で差別的なものであって、結局、信義則に反し、権利の濫用として違法かつ無効なものである。

(右反論に対する債務者の認否)

一  右反論第一項はいずれも否認し、争う。

二  同第二項について

1 同項1のうち、債務者には、昭和五五年三月以前には、並木宝石従業員組合が存在したこと、同月下旬、並木宝石労働組合が結成され、パートタイマーについて最低賃金法遵守、年次有給休暇や各種社会保険加入などの要求を掲げたこと、債務者は、同年一〇月下旬、パートタイマーについてその労働時間を五時間四五分とする旨を明らかにしたこと、ハンガーストライキを行なった者がいること、同月三一日、各職場のパートタイマーを三区分に分けて、パートタイマー全員の理解と協力を得たこと、債権者が契約書に主張のとおり付記したこと、はいずれも認めるが、並木宝石労働組合の活動及び債権者が同年一一月四日、ストライキに参加したことは知らない、その余は否認する。

2 同項2のうち、債権者の職場が変ったこと、債権者ら一二名が昭和五七年二月二二日からモーター課の作業、更には同課のティーピング工程の作業に従事し、同年四月五日から掃除に従事したことは認めるが、その余は否認する。

3 同項3のうち、債務者が、同年四月二〇日、債権者ら一二名に対し、債務者主張の通告をし、依願退職を拒否した債権者ら二名に同月三〇日付で雇傭契約を解約したことは認めるが、その余は否認する。

4 同項4のうち、債務者の昭和五二年及び昭和五六年の売上げ高、昭和五六年二月に青森県黒石市に黒石工場を建設したこと、秋田県南地区に四七、八の納屋工場を設置していること、ボーリング工場を買収して、同年一二月、第二工場として操業を開始したこと、二、三名のパートタイマーが自宅に仕事を持ち帰ったこと、昭和五七年に八一名の正社員を採用したことはいずれも認めるが、その余は否認する。

5 同項5は否認し、争う。

三  同第三項は否認し、争う。

第三証拠(略)

理由

一  債権者の申請の理由第一ないし第三項はいずれも当事者間に争いがない。

二  そこで債務者の主張及び債権者の反論について判断する。

1  債権者が債務者にパートタイマーとして雇傭されたこと、債権者が、昭和五七年二月二二日、モーター課に配置換えされ、その後、ティーピング工程の作業に従事し、その後、右工程が黒石工場に移管し、債権者を含む一二名のパートタイマーが総務課に所属し、清掃作業に従事していたところ、同年四月二〇日、依願退職を求められたが、債権者がこれを拒否したので、同月三〇日、債務者から労働契約を解約する旨の意思表示をなされたこと、債務者の昭和五二年の売上げ高が約金七五億円で、昭和五六年のそれが約金一二〇億円であること、債務者が五〇に近い納屋工場を設置していること、昭和五七年に八一名の正社員を採用したこと、はいずれも当事者間に争いがない。

2  右各争いのない事実に、(証拠略)及び弁論の全趣旨によれば次の事実を一応認めることができ、(人証略)、債権者本人尋問の結果中、右認定に反する部分は信用することができず、他に右認定に反する疎明はない。

(一)  債務者は、昭和二六年八月二八日に設立され、電気計測器及びその部品、精密機器工具、時計部品などの製造販売を営業目的とする会社であり、当初は東京都足立区新田に本社工場を有して、右工場で製品の製造を行なっていたが、業績の拡充に伴い、新工場の建設が必要となり、昭和四一年、秋田県と湯沢市の誘致企業として、同市愛宕町四丁目に約六〇〇〇坪の工場敷地を取得し、昭和四二年、建坪三四四坪の第一工場を建設し、昭和四三年二月、操業を開始し、以後昭和五三年までに第二ないし第七工場を建設し、その結果、秋田工場は工場建坪合計四八二八坪となったが、更に、昭和五五年三月、同市中川原にある元ボーリング場であった建物をその敷地と共に購入して改装したうえ、昭和五六年後半、秋田第二工場として操業を開始したほか、秋田工場の近辺の農家に建物を提供し、機械を貸与して製品の加工を請け負わす納屋工場が五〇か所近く存在しており、そのうえ、昭和五五年、青森県と黒石市の誘致企業として同市に約一二〇〇〇坪の工場敷地を取得し、昭和五七年三月、建坪一一二九坪の黒石工場を建設し、同年四月から操業を開始するようになり、債務者の昭和五六年の総生産高は約金一二〇億円に達し、業界ではトップクラスの企業としての地位を占めている。

(二)  債務者の従業員には正社員、臨時社員及びパートタイマーの三種類があるが、秋田工場操業当初には、右工場には正社員と臨時社員がいるだけで、パートタイマーは存在していなかった。正社員は債務者と期間の定めのない労働契約を結ぶ者で、採用の選考方法は新規学卒者のみならず中途採用者についても、作文を書かせたうえ、面接テストをして、その選考結果を本社に送り、本社の役員部長会に計って採否を決定するものであり、また臨時社員(就業規則上では臨時雇傭者)は、当初は、既婚女性を対象とした、雇傭期間を二か月以内又は一年以内とする従業員で、その選考も、正社員と異なって、秋田工場の人事担当者との簡単な面接のうえ、採用を決定していたものであったが、その後、女子正社員が結婚により一旦退職した後に再び勤務を望んだ者を採用した場合に臨時社員とし、その雇傭期間も二か月として、更新していくようになった。その後、債務者の業績が発展していくに従って人員の不足を来たすようになり、昭和四九年ころから、パートタイマーを採用することにしたが、その採用方法は臨時社員のそれと同様であり、しばらくの間は、パートタイマーには契約書を作成することもなく、パートタイマーとしての独自の就業規則もなく、臨時社員の就業規則を適用していた状況であったが、昭和五四年三月からは、パートタイマーについて雇傭期間を一か月とする「パートタイマー雇傭契約書」に署名押印させる方法をとり、以後、毎月、同じ内容の契約書を作成するようにしたもので、パートタイマーに右契約書を提出させる時期は、パートタイマーに対する賃金支払方法が当月の一日から一五日までの賃金を当月二〇日に、当月一六日から月末までの賃金を翌月五日にそれぞれ支払うものであったので、毎月三日ころにパートタイマーに当月一日付の契約書を渡し、毎月五日にパートタイマーがこれに署名押印して差し出す方法をとり、文書の上では雇傭期間を遡らせていたもので、債務者もパートタイマーも右契約書の作成を機械的に行っていた状況で、パートタイマーの勤務時間は、当初、隔日勤務の八時間制であったが、次第に崩れ、右勤務時間の他、毎日勤務の八時間及びそれ以下の勤務時間のパートタイマーも採用されるようになり、八〇パーセント以上のパートタイマーが毎日八時間の勤務をしていた。

(三)  債務者の秋田工場には製造品目別に部課制が採られており、時計事業部にはクリスタルガラス課、サファイア課(後に貴材第一課となる)、特研課の三課があり、精機事業部には磁気ヘッド課、電子音響部品課、モーター課、精密機器課の四課があり、パートタイマーは正社員や臨時社員に交って、どの生産現場においても同じ仕事が与えられ、労働の内容には変りはなかった。

(四)  債務者の秋田工場では、年毎にその生産規模が拡大し、それに伴ってパートタイマーの採用も増加し、昭和五一、五二年には各五〇名前後、昭和五三、五四年には各七九名をそれぞれ採用し、常に、パートタイマーの募集を行っており、時折り、新聞の折込広告でパートタイマーの募集をしていたところ、債権者は、昭和五四年四月九日、右広告を見て、パートタイマーに応募することとし、債務者の秋田工場に赴き、同工場の勤労課長である訴外真田幸三と面接し、雇傭条件などの条件の説明を受けたうえ、債権者の希望で実働八時間の毎日午前八時三〇分から午後五時一五分までとする勤務時間とし、時給は金三一五円、日曜日や会社の指定する休日以外は勤務日とし、賃金の支払方法は前記(二)のとおりでパートタイマーとして翌日から働くことにしたが、その際、真田課長は雇傭期間は一か月毎に区切っていく旨を述べたものの、当時秋田工場では人員が不足していたこともあって、債権者に対しては、短い期間でやめないで長く勤めて欲しい旨を強調し、債権者も、これに応じて、長期間勤める意思であると答えた。債権者は、翌同月一〇日、秋田工場に出勤し、真田課長から前記内容記載した(但し雇傭期間は同日から同月三〇日までとする)「パートタイマー雇傭契約書」に署名押印を求められ、これをなしたが、右契約書の債権者の住所及び生年月日は債権者が記載せず、会社側で記載し、債権者は時計事業部サファイア課で働くよう指示され、以後、他のパートタイマーや正社員、臨時社員と共に時計用サファイアガラスの研磨作業に従事するようになり、その後、同年五月からは前記(二)で述べたように、毎月五日の給料日に、毎月の最初の勤務日を作成日付とする「パートタイマー雇傭契約書」に署名押印のうえ会社に提出し(同年九月ころからは住所、生年月日も債権者が記載するようになった)、その後、昭和五五年一一月一日、新たなパートタイマー就業規則が制定され、勤務時間が午前八時三〇分から午後三時までとし実働時間を五時間四五分に短縮することになり、その旨を明記してある「パートタイマー雇傭契約書」を毎月の末日までに会社に提出するように変更され、また賃金は昭和五四年五月からは時給金三二〇円に、昭和五五年六月から時給金三六〇円に、昭和五六年一月から時給金三八〇円に、昭和五七年三月からは時給金三九九円にそれぞれ増額され、債権者は、昭和五六年一月まで、サファイア課で研磨作業に従事していた。

(五)  ところが、債権者は、昭和五六年二月二日、上司の命令により、他のパートタイマー二名と共に、サファイア課からモーター課へ異動し、ハンダづけ作業や製品検査に従事していたが、同年八月、再び会社の命令により、モーター課からヘッド課へ異動し、検査作業に従事するようになったものの、昭和五七年二月一五日、再度ヘッド課からモーター課へ配置換えの指示を受け、ハンダづけ作業をしていたが、同月末、他のパートタイマー一一名と共に、同年四月に操業する黒石工場に移るモーターのティーピング作業に従事するように命令され、従事していたところ、同年四月五日、右ティーピング工程が黒石工場に移転したので、暫定的に総務課に所属して、工場内外の清掃作業に従事するようにとの指示があり、債権者ら一二名のパートタイマーは、やむを得ず、清掃作業に従事するようになった。なお秋田工場ではこれまでもパートタイマーの移動は、時折り、行なわれていたことはあるが、清掃作業に従事させるようなことはなかった。

(六)  ところで、債務者の業績は昭和五六年一一月までは順調で、昭和五六年の総売上高は昭和五二年のそれと比べて約一・六二倍に増加させていたほどであるが、昭和五六年の後半からは急激に受注が減少し、昭和五七年に入っても右状況は変わらず、大手の受注業界である音響産業が同年三月に、時計業界が同年八月に通産省の不況業種の指定をそれぞれ受ける事態となり、このため昭和五七年の生産計画について昭和五六年一一月に立てた金一六三億円の見通しを、昭和五七年四月には金一三二億円に、更に同年八月には金一二〇億円に変更したが、最終的な実績額は前年を下回る金一一一億円であり、このような不況は設立以来初めてのことであり、秋田工場においては、同年四月にミニモーターの製造の主力が黒石工場に移転したこともあって同年の毎月の生産額が昭和五六年のそれに比べて約二五パーセントも減少する状態であった。このため債務者は経費の削減や納屋工場に対する注文の減少策などの措置を採ったが、それだけでは足りず、本社において、同年三月、役員部長会を二回開催し、人員削減について検討した結果、先ず本社工場と秋田工場のパートタイマーの人員を削減させることとし、本社工場においてはパートタイマーが自然に減少することが多いので新規採用を中止することにし、秋田工場においては、新規採用を中止するばかりでなく、退職希望者を募ることにし、人数については、その会議の席上、雑談的に出たが、具体的なことは工場長の訴外高橋忠に任せることにし、また退職希望者が足りない場合の措置については再検討することとし具体策は出なかった。

(七)  秋田工場の高橋工場長は、本社の役員部長会の右決定を受けて、秋田工場では約五〇名のパートタイマーを退職させることとし、工場の管理職にこの旨を伝え、昭和五七年四月二〇日、総務課に所属していた債権者ら一二名のパートタイマーについては高橋工場長が、真田勤労課長ら四ないし五名の管理職と共に、その他のパートタイマーについては所属する課の長が高橋工場長から説明要旨を受け取って、それぞれ会社が不況で希望退職を求めており、退職者には勤続年数により六〇日ないし九〇日分の慰労金を支払い、会社が好況になったときは優先的に採用する旨を説明したが、債権者ら一二名のパートタイマーについては、他の者と異なって、強く自主退職を求め、連日の様に、管理職が説得し、同月二八日までに債権者他一名を除く一〇名の者は、他に所属する三二名の者と共に自主退職に応じ、そこで、高橋工場長は、本社の了解を得て、同月二八日、債権者に対し、同月三〇日をもって雇傭契約を解約する旨の郵便を出すと共に、解雇予告手当として金六万八八二〇円を現金書留で送ったがいずれも受領を拒絶され、他の一人のパートタイマーについても同様の手続をとった。その後、債権者は、再三、秋田工場に赴いたが、いずれも就労を拒否され、債務者は、昭和五七年六月一九日、債権者が受領を拒否した金六万八八二〇円を供託した。

(八)  債務者においては、その後、役員部長会においても、特に人員削減について再検討したこともなく、新たな方策を決めることもなかったし、また秋田工場においても、自主退職を募ったり、債権者と同様の措置を採られたパートタイマーもいなかった。なお、債務者は、昭和五七年四月、全体で合計八一名の新規学卒者の正社員を入社させており、うち秋田工場では一三名の正社員が入社したもので、また臨時社員を昭和五七年には合計六名採用し、不況の状態は同年一杯続いたが、同年一二月、コンピューター用の特殊パーツの受注があり、昭和五八年に入って、秋田工場及び黒石工場でパートタイマーの採用が開始され、昭和五七年四月に自主退職をした者についても再採用の通知を出し、債権者にも右通知がなされたが、年令制限があり、債権者は対象にはならなかった。

3  右疎明事実によれば、債権者と債務者との労働契約は期間を一か月とするもので、それが順次更新されたものと認めることができる。ところで、債権者は右労働契約は期間の定めのないものであると主張し、債権者本人尋問の結果中には、右主張に符合する供述部分があるが、(人証略)には、債権者と面接した際、パートタイマーは期間を一か月とする契約である旨の説明がなされた旨の供述部分があること、前記2疎明事実によれば債務者がパートタイマーを採用する場合は、期間の定めのない契約をする正社員と違ってその手続が簡略で秋田工場の人事担当者との面接で即日採否が決せられていること、債権者を採用する直前からパートタイマーについては期間一か月とする契約書をわざわざ作成するようになり、債権者の場合にも、労務に従事する最初の日に右契約書を作成していることが認められ、これらからすると債権者の右供述部分は信用することができず、債権者の右主張は理由がなく、他に期間を一か月とする労働契約をなしたことの認定を覆えすに足りる疎明はない。また債権者は債権者の労働契約は期間の定めのない契約に転化したものである旨主張し、確かに、前記2疎明事実によれば、債権者の労働契約は昭和五四年四月から昭和五七年四月までの間、反覆更新されており、しかもある程度機械的にこれがなされていることが認められるが、右事実だけでは、他に特別な法的根拠が認められない以上、途中で期間の定めのない契約に転化するといえないことは明らかであり、債権者の右主張も理由がない。

4  しかしながら、前記2疎明事実によれば、

(一)  債権者と債務者の労働契約が一か月の期間の定めのある労働契約であるとしても、右契約の当初において債務者は債権者に長期間勤務することを要望し、債権者もこれを承諾していたこと、右契約が約三年もの間、三六回に亘り機械的に反覆継続してきたこと、右契約と同様のパートタイマーについても、パートタイマー本人が特に希望しないかぎり、契約の更新が当然なされてきたこと、更には債権者らパートタイマーの労働の内容は臨時社員はもちろん、正社員と同一のものでほとんど差異がないことが認められ、以上からすると、右契約の期間は一応一か月と定められてはいるが、いずれかから格別の意思表示がなければ当然更新されることが予定されていたと解するのが相当であり、しかも単に期間が満了したとの理由だけでは債務者は傭止めをせず、債権者らパートタイマーもこれを期待かつ信頼し、このような相互関係のもとで労働契約関係が存続、維持されてきたものであり、したがって債権者の意思にかかわらず、期間満了によって労働契約関係を終了させるためには、傭止めの意思表示が必要であるばかりでなく、右傭止めをするについても、従来の取扱いを変更してもやむを得ないと認める特段の合理的な事情が存することが必要であると判断することが相当であると解するところ、債務者の債権者に対する雇傭契約を解約する旨の意思表示は、前記2疎明事実によれば、傭止めの意思表示と解することが相当である。

(二)  そこで債権者に対する傭止めの意思表示の効力について検討するに、

(1) 債務者は、昭和五六年一二月以降、創業以来の不況に直面し、諸経費の節約だけでは足りず、パートタイマーを中心とした人員削減の必要性があったことが認められ、この限度においては債務者の主張にも、一応、理由があるといえる(債権者は債務者が昭和五七年においても高成長を遂げている会社である旨主張しているが、前段判断から右主張は理由がない)。

(2) しかしながら、(イ)本社の役員部長会でも秋田工場のパートタイマーについて希望退職を求める決定が行なわれたにすぎず、その人数も具体的に決まったものではなく、高橋工場長が独自の判断で約五〇名と決めたもので、その数も具体的な根拠がなく、四二名の希望退職者が出たが、それ以上に希望退職を募らなかったことから、希望退職の必要性はあったとしても、四二名を越える員数が必要であったか疑問であるばかりでなく、本社の会議においても本人の意思に反して傭止めをするまでの議論も決定もなされなかったにもかかわらず、一回の希望退職を募っただけで高橋工場長が率先して債権者他一名のパートタイマーに対して傭止めをなしたものであること、(ロ)、のみならず、債権者は他のパートタイマーと比して稼働能力が劣っていたとは考えられず、サファイア課やモーター課などで人並みに作業を行なってきたことが窺えるにもかかわらず、債権者に対しては他の一一名の者と共に、その他の職場のパートタイマーと異なって、あくまでも退職を前提とするような強い調子で希望退職に応じるように説得し、説得に応じなかった債権者他一名だけを傭止めにしたこと、この点に関して、(人証略)には、債権者らが従事していたティーピング作業は黒石工場に移転し、他の職場でもパートタイマーが余っている状態であった旨の供述部分があるが、債権者はティーピング作業を、その時、初めて行なったもので、経験者という理由でティーピンク作業に従事させたとは考えられず、また黒石工場に移転する僅か一か月前に右作業に従事させたもので、すぐに作業が秋田工場からなくなることが明白であったにもかかわらず、右作業に従事させたうえ、総務課に所属させたものであり、債権者らの作業がなくなったことは専ら債務者側の事情によるものであり、他の職場から合計三二名の希望退職者が出ており、債権者を他の職場が受け入れる余地がないとは考えられず、かつ債権者のなす作業がなくなったことが債務者側の事情である以上、債権者に対する傭止めの合理的な理由とはならない、(ハ)債務者は、昭和五七年五月以降、秋田工場でパートタイマーに対して希望退職を募ることはせず、臨時社員に対する希望退職の募集など他の人員削減の方法を採ったことはないのみならず、昭和五七年には臨時社員を五名も採用していること、以上(イ)ないし(ハ)を考慮すると、債権者を傭止めにするについて誠実な態度を採ったか著しく疑問であり債権者に対して傭止めをなすには社会観念上、合理的な特段の事情があると認めることができない。

5  のみならず、(証拠略)によれば、次の事実を一応認めることができ、(人証判断略)、他に右認定に反する疎明はない。

(一)  債務者の秋田工場には、昭和五五年三月以前には、労働組合として並木宝石従業員組合が存在していたが、右従業員組合にはパートタイマーが加入していなかったため、パートタイマーをも含む並木宝石労働組合が、昭和五五年三月二三日、設立され、債権者も設立当初から右労働組合に加入した。右労働組合は、パートタイマーの権利獲得運動に重点を置き、同年四月、毎日実働八時間のパートタイマーに関する年次有給休暇の未給付及び最低賃金法違反の各事実について横手労働基準監督署に対し違反を申告し、同監督署は債務者に対し有給休暇を給付すること及び最低賃金適用産業分類で「その他の産業」から「機械金属製品製造業」に変更しており、同年一月四日に遡って差額支給などの是正措置を指導し、また右労働組合は、同年七月、同監督署に定期健康診断未実施について違反申告をし、同監督署は、同年八月、債務者に対し是正勧告をなし、更に右労働組合の指導により、債権者を含む一五三名のパートタイマーに雇傭保険の被保険者資格届を取得させ、また債権者を含む六名のパートタイマーが健康保険や厚生年金保険の被保険者資格の確認請求を出し、右資格を取得させるなどの結果を生じた。

(二)  このような状態の中で、債務者は、昭和五五年一一月から、実働八時間のパートタイマーの実働時間を五時間四五分に短縮する方針をとり、前記従業員組合との交渉により時間短縮により減少した賃金分については会社が右従業員組合に貸し付けたうえ、右従業員組合が各パートタイマーに貸し付けることとしたが、右時間短縮の動きを知った右労働組合員の中にはこれに反対し、同年一〇月三一日、ハンガーストライキをする者がいたが、債務者は、同日、パートタイマーを集て、時間短縮の方針を説明し、五時間四五分の実働時間を記載した雇傭契約書に署名・押印することを要求したので、債権者は時間短縮に反対したものの署名押印することとし、右契約書に「八時間働かせて下さい」と記載して署名、押印して会社側に渡したが、同年一一月四日、他のパートタイマー五名と共に、会社の方針に反対して八時間の勤務を要求するストライキを行なったが、会社の方針通り、時間短縮が実行され、この結果パートタイマーは雇用保険や有給休暇請求の要件を喪失した。

(三)  その後の秋田工場の配置転換においては、右ストライキに参加した者が多く、また昭和五七年四月五日に総務課に配置された一二名のパートタイマーのうちには、右労働組合員が八名、右ストライキの参加者が五名、更には健康保険の被保険者資格の確認請求をした者が四名含まれており、債権者は右三つの条件に当てはまり、右三条(ママ)の一つにも該当しない者は四名にすぎなかった。

右疎明事実に前記2疎明事実を考え併せると、債権者は右労働組合の一員として右労働組合の運動を積極的に推進したもので、債務者の時間短縮がパートタイマーの前記の雇用保険の被保険者資格取得を阻害する趣旨でなされた疑いが強いことを考慮すると、債権者に対する配置転換や傭止めの意思表示は債権者を嫌避してなされたといわざるを得ない。

6  以上によれば、他に右傭止めについて特別な事情の主張、疎明がない以上、債務者の債権者に対する傭止めの意思表示は期間満了によって労働契約を終了させることを認めるに足りる特段の合理的な事情があると認められないうえ、債権者を嫌避してなされたものである以上、右傭止めは効力がないものといわざるを得ない。したがって債権者と債務者との間には、期間一か月とする労働契約が、毎月一日、更新されており、有効に存続しているということができる。

三  債権者本人尋問の結果によれば、債権者は夫及び長女の三人暮しで、夫は病気のため、長女は失職中のためそれぞれ収入がなく、債権者の収入により、専ら、家族の生計を維持してきたことが一応認められ右認定に反する疎明はなく、保全の必要があるということができる。

四  よって債権者の本件申請は理由があるので認容し、また保証を立てさせることも相当でなく、申請費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 小松峻)

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